段落ごとに内容を把握する(4/20現中-2)


さて、今回のテーマは「段落ごとの把握」です。

読解のお約束

現代文の授業をするとき、僕が必ず最初に提示する「お約束」が二つありまして…一つ目が「大事なところに線を引きましょう

これは要するに、文章を読んで考えたことを書き残していきましょう。という話なんです。例えば数学(算数)の問題を解くとき、「5-2=3」のように、一目見てすぐにパッと答えがわかるような問題は、入試レベルではあまり出てきませんよね。例えば

「ひろし君は500円持って買い物に行き、ノート2冊と消しゴム3つを買ったところ、残ったお金は90円になりました。ノート1冊の値段は消しゴム2つ分の値段より30円だけ高いそうです。ノート1冊の値段はいくらでしょうか」

とか、そういう感じ。

問題自体は小学生でも解けそうなものですが…高校生でも問題を一読しただけですぐに答えが浮かんでくる、という人は少ないと思います。

消しゴム一つの値段をx円とすると、ノートの値段は

(2x+30)円とあらわされる。

2(2x+30)+3x=500-90

とまあこんなふうに式を書いて、少しずつ考えを進めながら、解答を求めていく。

「式」というのはつまり、頭の中で考えたことの記録です。そうやって考えを外部に出力して固定していくことで、頭の中だけでは処理しきれないような問題も筋道立てて考えることができる。また、間違えた答えを出してしまった時も、式を見直すことで「どこで間違えたのか」を容易に発見することができるわけです。(ちなみにノート1冊の値段は「130円」です。)

国語で「線を引け」っていうのもこれとおんなじことですね。頭の中で考えたことを、とりあえず残しておけ、ということ。

もちろん最初は「どこが大事だかわからない」「どんなふうに線を引けばいいのかわからない9という状態の人も多いのですが、それはこれからの授業の中でどんどん教えていきますからね。とりあえずやってみないことには始まりません。

…というのが一つ目、でも今日お話しするのは二つ目のお約束の方です。二つ目は「段落番号を振りましょう

小さなことからコツコツと

よくね、文章読むとこういうこと言う生徒さんいるんですよ。曰く「ゼンタイテキによくわかりません」そういう生徒さんに対して「うん、もう一度全体を通して読んで、著者が何を言いたいのかよく考えてみよう」とか言ったところで、たいていの場合効果はありません。

そもそも「ゼンタイテキニわからない」という生徒さん、じゃあ「部分的にはわかってるんですか」というお話で。

文章を理解するためには、「単語レベルの理解・文レベルの理解・文の相互関係レベルの理解」ザクッといってこの3つが必要なのですが、この3つめがなかなか曲者で…

たとえばA・B2つの文がある場合、AとBの相互関係を考えていく。因果・並列・換言・例示等々…

そこにA・B・Cの3つの文がある場合、今度は単純に考えると「AとB・AとC・BとC」3通りの相互関係を考えなきゃいけない、これが4つの文になると6通り、5つの文になると10通り、6つだと15通り、7つだと21通り、8つだと28通り…とまあこんな具合に、関係を考えるべき組み合わせっていうのはどんどん増えていくわけです。(もちろん実際には「ABのセットとCの関係」とかも出てきますし、こんな単純な話でもないのですが)

まあとにかく「文章が長くなればなるほど、その関係をいっぺんに理解するのは大変になってくる」というのは常識的にも経験的にも理解できるでしょう。

だから文章を理解していくときには、まずはいくつかの文をひとまとまりのかたまりにして、その塊の中での関係をしっかりとらえていく、という作業をするといいんです。この「かたまり」が段落です。

一つの段落に含まれる文はそんなに多くありません。まずはその少ない要素の中で、それらの相互関係をとらえていく。それができたら、段落単位で他の段落との関係を考える…こういうふうに小さいかたまりから段階的に関係を解明していくことで、長い文章をとらえていくわけです。

で、今回の授業の趣旨は、そういう「ちいさいかたまり=段落」単位でしっかり読んでいく練習をしましょうね、ということです。そういう意識をつけるための作業として「段落番号を振る」という「お約束」をしてるわけです。

では以下

実際にやってみましょう

さて、今日のテキストは池澤夏樹「母なる自然のおっぱい」より。

(゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい!

 

ある特定の点に立った視点から見えるものには限界がある。三次元の世界を二次元に変換して見ている以上当然だが、ものの裏側は見えない。岸辺に立つ釣り人には対岸の先に聳(そび)える山の向こうは見えないし、河原にころがった岩の向こうも見えない。岩の向こうの淵(ふち)にひそんでいるイワナも見えない。また、正確な距離も二次元の映像からはわからない。経験的に森と山のどちらが遠くにあるかわかっても、あの山の麓(ふもと)まで何里あるか、歩けばどれだけかかるか、そういうことはわからない。喉(のど)が乾いているとき、泉Aと川Bのどちらが近いかは、たとえこの二つの水源が見えていても、それだけでは確定できないのである。二次元の視野に経験だけによって、ちょうどカラー写真の発明以前に行われた着色写真のような具合に、奥行きを「塗布」するのでは不十分なのだ。

さて、これでひとつの段落です。順に見ていきましょう。

まずは第1文

ある特定の点に立った視点から見えるものには限界がある。…①

第2文

三次元の世界を二次元に変換して見ている以上当然だが、ものの裏側は見えない。…②

第1文で「限界がある」と述べていますが、その内容については触れていません。第2文ではさらに踏み込んでその「限界」について詳しく説明していますね。というわけで第1文と第2文の関係は「説明=同一内容のより詳しい言い換え」であると判断できます。

では、第3文です。

岸辺に立つ釣り人には対岸の先に聳(そび)える山の向こうは見えないし、河原にころがった岩の向こうも見えない。…③

第2文で「ものの裏側が見えない」と述べたのを受け、「岸辺に立つ釣り人」「河原にころがった岩」といった具体的な例を挙げているわけですから、第3文は第2文に対する「例示」です。

第4文・第5文はまとめていきましょう

河原にころがった岩の向こうも見えない。…④

岩の向こうの淵(ふち)にひそんでいるイワナも見えない。…⑤

「岩の向こう」「イワナ」の表現からもわかるように、前の内容との「並列」になっている文です。第4文・第5文は第3文と「並列」の関係に置かれた上で、前文と同じく第2文に対する「例示」として機能しています。

では第6文

また、正確な距離も二次元の映像からはわからない。…⑥

はい、この文も「また、正確な距離…」の記述からわかるように、前の内容との「並列」です。問題はどの部分に対する並列なのか…ですが。ここでは「二次元の映像からはわからないこと」として、「正確な距離」をあげているわけですから、同じく「二次元の映像からはわからないこと」として「ものの裏側は見えない」ことをあげている第1文との並列関係である、と考えられますね。

では続いて、第7文、第8文を。

経験的に森と山のどちらが遠くにあるかわかっても、あの山の麓(ふもと)まで何里あるか、歩けばどれだけかかるか、そういうことはわからない。…⑦

喉(のど)が乾いているとき、泉Aと川Bのどちらが近いかは、たとえこの二つの水源が見えていても、それだけでは確定できないのである。…⑧

ここはもうおわかりでしょう。先に見た第2文と第3,4,5文との関係と全く同じ構造ですね。

第6文で述べた内容に対する「例示」として、第7文と第8文は「並列」の関係にあります。

最後、第9文

二次元の視野に経験だけによって、ちょうどカラー写真の発明以前に行われた着色写真のような具合に、奥行きを「塗布」するのでは不十分なのだ。…⑨

比喩による説明がありますが、要するに「二次元の視野と経験だけで奥行き(=距離)を判断することはできない」ということですから、これは第6文を言い換えたもの、と考えて差し支えないでしょう。

というわけで、ここまでの内容をザクッと整理すればこんな感じでしょうかね

 

 

ダウンロード (3)

 

このように…この段落の中の9つの文は、きちんと一つのツリーにまとまってくれました。(必ずしもすべての段落が、こんなふうにきれいにまとまってくれるとは限りませんが)

こういう読みができていれば、この段落は「9つの文」ではなくて「1つのかたまり」として、以後の文章内容との関係をとらえていくことができる、というわけです。

こういう作業を一つ一つの段落についてやっていく。小さなかたまり単位での「理解」をきちんと積み上げていくことで初めて「文章全体の理解」が可能になるのです。「ゼンタイテキにわからない」ときには、まずは「小さな部分をしっかり読みましょう」。というのが、今回の教訓!

 

ではまた来週まで、あでぃおす!

 

 


投稿者: 大森 太郎

升形国語塾の代表をやってます。

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