連休明け最初の更新です。
そろそろある程度記事もたまってきましたし、ちょっと肩の力抜きつつちょこちょこ更新していこうと思います。ではいってみましょー。
正直そろそろ見出しとか分けるのめんどくさくなったから適当に行くね。
今回は高校新演習スタンダード第2講練習問題、野矢茂樹「哲学・航海日誌Ⅱ」よりの出題。
実は僕、学生時代に野矢先生の講義をいくつか受けたことがあります。お話の上手な方でねえ…学生にも人気がありました。専門はウィトゲンシュタイン。一般向けの割と平易な本も書いてらっしゃいます。
「論理トレーニング」シリーズは高校生くらいだとちょっと難しいかもしれませんけど…講談社現代新書の「無限論の教室」「哲学の謎」あたりは文章も平易ですし、読みやすいと思いますよ。うちの教室にもおいてますので、ご興味ある方はどうぞ。
さて、今回の記事では第四問を取り上げましょう。
直接関連する部分のみ引用します。
ときに、子どもは卓抜な比喩を用いる者であるかのように語られることがある。例えば、脚のしびれに対して、「脚が炭酸になっちゃった」と言うように。私には子育ての経験がないので実感をもって語ることはできないのだが、④私の偏見ではこれは実は比喩ではない。子どもはまだ大人の押しつける標準的言語使用をきちんと学びとっていないというだけのことにすぎない。その子はただ字義どおりの意味で「脚が炭酸になった」と言ったのである。そこには使用の創造性はない。それゆえ機知も芸も言葉の美しさもない。
問四 傍線④「私の偏見ではこれは実は比喩ではない」について、「これ」が比喩でないという理由を、四十字以内で説明せよ。
で、これに対する模範解答(テキスト付属のものです)も引用しちゃいましょう
標準的言語使用を学び取っていないまま、字義通りの意味で言ったに過ぎないから。
…うーん、ちょっとまあ「こんなんでいいのか」という感はありますが。僕ならこんなふうに書きますかね。
標準的言語使用の理解を欠いたまま、誤解した字義通りに言葉を用いているだけだから。
「字義通りに」というのはあくまでその子が思う「字義通り」(たぶんこの子は「炭酸」=シュワシュワした感じのもの」くらいの理解をしているのでしょう)であり、本来の標準的な「字義」から外れた用法であることは明らかですので、そこははっきり書いた方がより適切かと思います。
あるいはこんな答えも「アリ」だと思うのですよ。ちょっと具体的な方向に寄せて。
「炭酸」という語の標準的な意味を誤解したうえで工夫なしに用いているだけだから。
で、この答えを書くに至る思考のプロセスを確認しましょう。
今回、傍線部は「私の偏見ではこれは実は比喩ではない。」という、否定の形になってますね。こういう否定文をとらえるうえでは、とりわけ「逆転の発想」が有効なんです。
つまり「これは比喩ではない」というのなら、じゃあどうだったら「比喩」なんですか?「比喩」である条件って何ですか?というふうに考えていくわけです。
直後の「子どもはまだ大人の押しつける標準的言語使用をきちんと学びとっていない」との記述から、比喩であるための第一条件が浮かんできます。すなわち
- A標準的言語使用をきちんと学び取ったうえで用いられる表現であること
ですね。でもこれでは十分ではない。「標準的言語使用」というのは要するに「平凡な言葉の使い方」ですから、これだけでは比喩にはなりません。もう少し見ていきましょう。その後の記述です。
「その子はただ字義どおりの意味で『脚が炭酸になった』と言ったのである。そこには使用の創造性はない。それゆえ機知も芸も言葉の美しさもない」
はい、この記述から見えてくる比喩の条件二つ目
B字義どおりではない使用の創造性があり、機知や芸や言葉の美しさが備わっていること
はい以上、二つのポイントが見えてきましたね。
ここからはちょっと小ズルい話
おおむね記述問題というのには「採点基準」っていうのがあるんです。「○○について書けていれば△点」「××のポイントがあれば☆点」っていう具合に。記述問題で点数を取っていく上では、この「採点基準」を意識していくのが大切。
今回の問題は四〇字の記述です。「これくらいだと基準一つでは文字数が多すぎる、かとってそれほどたくさんの基準は入れられない…せいぜい多くて3つ、まず2つ入れば上出来…」というくらいの計算は立つんです。
というわけで
「比喩の条件」二つのポイントが見えているわけですから、それをひっくり返してやることで答えが出てくるわけですね。先に挙げた3つの模範解答は、どれもが両ポイントを一応押さえている。といえるでしょう。他にも解答の書き方はいろいろありうると思いますが、この両ポイントへの言及があれば広く許容…ということでいいんじゃないでしょうかね。んじゃまた来週。