生きていてほしい、ということ


<電通新入社員>「体も心もズタズタ」…クリスマスに命絶つ

とても痛ましい事件です。

亡くなった方は2015年大卒の24歳…僕が教えてきた生徒さんの中にも同い年の子がたくさんいます。きっと頑張って勉強して、東大に入って、大手といわれる企業に就職して…これからの人生、きっとたくさんの希望があったはずでしょうに。

こんなの、もちろん社会が悪いんです。全部会社が悪いんです。

でも、死ぬことはなかった。僕とは何の縁もない、こんな事件がなければ名前を知ることもきっとなかった方です。彼女がどういう思いで、どういう事情でこういう選択をしたのかそれを知ることはできないし、最後のところではそれが彼女自身の決断だったのかもしれない。それでも生きていてほしかった。

僕たちの仕事は、毎年たくさんの若い子たちと出会い、そして別れる、そういう仕事です。人生のほんのわずかな時間を共に過ごすだけですけど、それでもやっぱり、その子たちがそれぞれに、充実していようがしていまいが、幸せだろうがそれほどでもなかろうが、しっかり生きていってほしいと思うのです。

受験生というのは、何かと弱気になることもあります。そういう時「しっかりしよう、ここで投げ出しちゃいけない、もう一息だ、頑張ろう!」そうやって励ますのも僕らの仕事の一つ。

でもね…「いやもうこりゃいかん!」となったら投げ出さなきゃいけない。投げ出して、失うものだってそりゃあるんですけど…ましてやずっと努力してきて、色々なものを積み重ねてきた人たちにとっては、失うものもきっと多いのでしょうけど…。それでも、まただからこそ、「どーしても嫌なら辞めちゃおう!」っていう、そういう気持ちを持っておくことはとても大事だと思うのです。

「どんなにつらいことがあっても、一度始めたものは最後までやり遂げよう」的な価値観に殺されるなんて馬鹿げてる。僕はそういう価値観の形成に加担したくないし(でも加担してしまっているかもしれない)、そうでないあり方もちゃんとあるんだ、と、少なくともうちに通ってくれる生徒さんにはそう思ってほしいと願います。

 

それこそ塾なんてねえ…嫌なら辞めていいんですよ…。

もちろん僕らにとっては商売ですから、生徒さん辞めるのは困ります。できれば引き止めたいと思うのです。でもそれはあくまでこちらの都合。「君のためを思うから、こうやって言っているのだ」なんて言うのは100%…とまでは言いませんけど、九分九厘欺瞞です。生徒さんに「この塾に来ることは、自分にとっていいことだ」と思ってもらわなきゃ、僕らにとっては失敗です。

実際のところ「本当は塾、辞めたいんだけど辞められない」という子って(うちの塾を、ということではなく、一般論として)結構多いと思うんです。でもね、たかが塾すら辞められないようじゃ、そのうちもっとずっと辞めにくいものに食い殺されかねないんですよ。飛躍のし過ぎだと感じる方もいらっしゃるでしょうけど、そこはやはりどこかでつながっている心性だと思います。

それこそ塾なんてね「辞めちゃったけど失敗だったかな」と思えばまた帰って来てくれりゃいいんです。そこで「どの面下げて帰ってきたんだ」なんていう塾はそれこそ願い下げ…きっちりもう一回辞めてやりゃいいんです。

 

とにかくね、ここまで読んでくださった貴方、ひょっとしたら将来貴方も「死んでしまおうかな」と思う時が来るかもしれない、ひょっとしたら今、そう思ってる方もいるかもしれない。もしそこでそういう選択をする、というのなら、それはあなたの選択です。僕が止められるものではない。だけど、もしそうなれば、僕はとても悲しいと思う。僕に縁があった方ならなおさらです。とりあえず、命以外のものを放り出してしまいましょうよ。んで僕のところに遊びに来てたなら、お昼ご飯くらい奢りますから。ねえ、もしそんな時が来たら、こんな言葉の一つも思い出してくれると嬉しいです。

 

 

 


投稿者: 大森 太郎

升形国語塾の代表をやってます。

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