「大きい政府」と「小さい政府」のこと(4/25現初-3)


さて今回は高校新演習スタンダード現代文Ⅰ第1講の練習問題、村上陽一郎氏の「情報と科学・技術」からの出題です。

ちょっと出典が収録されてる本がわからないんですけど、この辺かなあ

村上陽一郎氏は科学史・科学哲学あたりの学者さんですね。一般向けの著書も多く、大学入試や高校入試でもよくお名前を見る方です。

読解の技法(接続詞・指示語など)については前回説明しましたので、今回は文章内容の説明をメインにしつつ、技法の確認を進めました。

本文に書いて「ない」知識も必要です。という話

正解はすべて本文の中に書いてある」というのは、国語の読解ではよく言われることですけど…これはまあ、ちょっと言葉の綾みたいなところがあるんですよね。例えば次の一文。

掃除をしていたらパソコンのコードに足を引っかけて、電源プラグがコンセントから抜けてしまった。

まあ、この文、現代日本で生活する人なら何の問題もなく理解できます。だけどこれ、まったく同じ一文を明治時代の人に見せたらどうでしょうねえ。

まず、「パソコン」「コード」「電源プラグ」「コンセント」このあたり言葉の意味が分からない。

それだけじゃありません。この文を理解する上では「現代日本の家屋にはたいていコンセントがたくさんあって、そこから電気が供給されている」「コンセントに電源プラグをつなぐことで、電化製品に電気が流れる」「電気はパソコンや掃除機など、様々な機械を動かす動力になる」といった「常識」を知っていなきゃいけません。それに加えて

「定められた手順によらずパソコンの電源を落とすことは、故障の原因になる」ということを知っておかないと、この文を読んだ時の「あっやばい!」という感覚は共有できない。

要するに、文章を正しく理解するためには、その文章の書き手が読み手に対して想定している「常識」レベルの知識をきちんと持っておかなければいけない、ということです。現代の文章はふつう明治時代の読者を想定していないですから、明治の人が読んでわからないのは当然です。

問題演習から得られる知識を大切にしましょう

実際のところ、大学入試で出題される文章の多くは、(それなりに勉強している)大学生や社会人向けに書かれたものですから、一般的な高校生の持っている「常識」とは少々かけ離れている場合もあります。入試レベルの「常識」を身に着けるためには、それなりの努力が必要です。新聞や報道に積極的に触れたり、書物やインターネットを利用して興味のあることを調べたり、詳しい人に話を聞いたり…色々ありますけど。

でもそういう「努力」として、一番手っ取り早いのは結局「国語の問題を解くこと」だと思うんですよ。入試によく出るテーマっていうのはだいたい決まってます。「近代における個人と社会」とか、「地球環境の保護と持続可能な開発」とか「記号としての言語の働き」とか「芸術と社会の関係」とか…

国語の勉強をまじめにしていれば、そうした主要なテーマを扱った文章に一度や二度は触れる機会があるはずです。そういう機会を通して、そのテーマを語る際には「常識」となっている知識や発想を学び、そこに親しんでいくことが大切です。

単に「問題が解けた、解けなかった」というだけで終わっていたらもったいない。せっかく縁のあった文章です。そこに書かれている内容、さらには直接書かれてはいないけど関連する内容、そういうのをできるだけ身に着けていくこと、これも広い意味での「読解力」です。

「大きい政府」と「小さい政府」のお話

さてこの文章、ざっくり要約すると

  1. 近代の社会では、人間が本来持っていたはずの様々な機能(教育や生活の維持)を公権力が半ば強制的に肩代わりし、それを根拠に税を徴収してきた。
  2. 財政の悪化に伴い、公権力がそれらの機能を肩代わりし続けることが困難になりつつある。
  3. それは国民の立場からすれば、社会のなかで一人一人の個人が自立し、自ら判断し行動する民主主義社会本来の姿を実現する絶好の機会でもある。

とまあ、こんな感じですよね。本文では2.の直後あたりに

抽象的に言えば「大きい政府」か「小さい政府」か、という問いかけにもつながるこの問題は…

という記述がありますが、ここでの「大きい政府」「小さい政府」という言葉、これ以前にも、これ以後にも一切出てきません。こういうのは著者が「常識」だとみなしている言葉だ、ということです。今回の設問ではここに直接関わってくるものはないので、意識しなければ何気なく流してしまいそうですが、こういう言葉についての確認を怠らずやっていくことが大切ですよ。

 

「小さい政府」の誕生

現代の市民社会の原型となる世の中の仕組みはイギリスのピューリタン革命・名誉革命(17世紀)やアメリカ独立革命・フランス大革命(18世紀)などの市民革命によって作られたものです。

市民革命以前の社会のしくみは「絶対王政」と呼ばれます。神から与えられた絶対的な権力(王権神授説)を持つ王と、それを支える貴族や聖職者などが様々な権利を独占し、対してその他の一般の人々(市民)の活動には様々な制約が課されていました。

一方で、絶対王政の時代は商業や工業が一気に発達し、比較的裕福な市民(ブルジョワジー)が出現した時代でもあります。そうして力をつけた市民たちは次第に自らに課せられた制約に不満を持ち、やがて絶対王政の政府を倒して自ら新たな政府を作るに至ります。これが「市民革命」です。

市民革命の原動力となったのは、今見たように「市民に課せられた制約への不満」です。ですから市民たちは新たな政府に対して、できるだけ自分たちの行動に干渉しないことを求めます。「政府は治安維持や国家単位の防衛など、最低限必要なことだけやればいい、あとは俺たちの好きにやらせろ、余計な口を出すな!」というわけですね。こうしてできたのが「小さな政府」です。このような思想に基づく国家のことを「夜警国家」と呼んだりします。このような国家は「自由権」を重視する国家である、ともいえます。

「小さな政府」の問題点

こうして「自由」を手にした人々ではありますが…実際のところ「自由」であればすべての人が幸せになれるか、と言えば、必ずしもそうとは限りません。先にもみたように、市民革命の中心となったのは裕福な市民たち(ブルジョワジー)です。彼らはとりわけ「経済活動の自由」を重視します。たとえば彼らが有り余る資本力を背景に、貧乏な人々を長時間労働で扱き使って法外な利益を上げるのも「自由」です。あるいは、病気やけがのために働けない人がいたとして、そうした人に何らかの生活の支援をするかどうか、というのも「自由」です。現代人の感覚からすると、ちょっと厳しい世の中ですよね

世界恐慌

1929年に発生した世界恐慌(世界的な大不況)は、「小さな政府」の限界を浮き彫りにしました。自由放任政策のもとでの市場経済は、時に破滅的なまでの大不況を招いてしまうこと。大不況の下で発生した多くの失業者の生活を支えるためには、公的な援助が不可欠であること、大不況からの回復は、自由な経済活動のみによっては極めて困難であること、などが明らかになっていくのです。

「大きな政府」の誕生

こうした中で徐々に「政府は市場経済に対してある程度介入し、経済の状況をコントロールすべきである」「政府は国民の幸福な生活を守るため、必要な施策を行うべきである」「何らかの事情で困難な状況に陥った国民に対して、政府は必要な支援をすべきである」といった考え方が主流になってきます。「大きい政府」の誕生です。このような思想に基づく国家を「福祉国家」とか「行政国家」と呼んだりします。このような国家は「社会権(社会の中で人間が人間らしく生きていく権利)」を重視する国家であるともいえます。

「大きな政府」と「小さな政府」

ここまで見てきたとおり、大きな視点で見ると、市民革命以来、政府のあり方は「小さな政府」から「大きな政府」へと徐々に移行してきた、ということができます。

しかしながら「小さい政府」より「大きい政府」の方が優れているのか…というと、必ずしもそうとは言い切れない部分もあります。

まず、「大きな政府」にはお金がかかります。そのお金は基本的に、国民の税金で賄われるわけです。特に少子高齢化が進み、国民全体に対する税金を納める人の割合が少なくなっていくにつれて、この負担はどんどん大きくなっていきます。「国はそこまでしなくていいから、その分税金安くしてくれよ!!」という考え方も出てくるわけです。

こんな問題もあります。一般の企業が何らかの商品やサービスを提供する場合、そこにはライバル企業が存在し、競争が生まれます。当然それぞれの企業はライバルとの競争に勝つために、より優れた商品やサービスをより安価に提供しようとします。それによってその業界全体が発展し、消費者はより優れた商品を安価で手に入れることができるようになる。これが自由市場のいいところです。ところがある商品やサービスの提供を公権力が独占してしまうと、そうした競争は生まれず、結果として国民はあまり質の良くないものを我慢して使い続けるしかなくなってしまう…ということも。

世界的には1980年代あたりからこうした「大きな政府」批判(新自由主義)が大きな影響力を持つようになりました。

もちろん現在の社会において、市民社会初期のような、極端な「小さな政府」が受け入れられるとは到底思いません。しかしながら、政府の「大きさ」はどの程度が適切なのか、また、どのような分野を「大きく」し、どの分野を「小さく」していくのが良いのか、という点は、非常に重要な論点であると言えるでしょう。

 

ざっくりとした理解をしておきましょう

とまあ、おおむねこんな感じです。こういうの、丸暗記する必要はないんですよ。とりあえず話を聞いて「へーそうなんだー」くらいでいいのです。専門的に勉強しようと思ったら、上に書いた程度の内容では全然足りませんし、厳密にいえば不正確な部分も随分あると思います。

でも「解答に必要なことは本文にすべて書いてある」わけですから、とりあえず大体の話は聞いたことがある、くらいの予備知識があればそれで充分なんです。

とりあえず、一般的によく取り上げられるテーマについて、「だいたいこういう話」くらいの把握をしておくことが大切。うちの授業の中でもそういうレベルまでの知識は提供していきます。その中で、あなたの興味を特に惹くような内容にもし出会えたら…その時は自分なりに突っ込んで勉強してみるといいですよ!

 

 

 


投稿者: 大森 太郎

升形国語塾の代表をやってます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です